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阿南毅と小僧の心
ヘアスタイルの歴史 「行92」
2017.08.10
どんなものにでも歴史がある。
この阿南にも生まれ落ちてから今まで成長という名の歴史がある。
もちろん髪型にも流行りという名の歴史がある。今日はそのあたりについて書いてみようかなと。
原始人までさかのぼるとそもそも髪がなんのためにあるのか?という話まで書かなくてはいけなくなるが
(髪の毛を太陽光や何らかの衝撃から頭を保護するためだったり)するが、話が変わるのであくまで
髪型について触れれるところからになると・・・
おEDO!江戸、江戸。
野郎たちは丁髷(ちょんまげ)ってイメージ一択で強いですが、女性にはかなり流行りがあったようでして。
「前髪、ビン、マゲ、タボ」この4つの部分をどういう形にするかで女性は髪型を決め、さらにクシやカンザシ、花コウガイなどで飾り立てていたようです。一説には300種類もの髪型があって、その中でファッションリーダーとして君臨していたのは吉原の遊女達でした。
吉原の遊女といえば大名道具といわれるほどですので、さぞかし華やかだったのでしょう。皆が憧れるのも納得です。
そこからかなり時間が飛んで1950年くらいになると、知っている方も多いかもしれません。
1950年を彷彿とさせるようなスタイルは現代でも多く見受けられます。
下は代表的な2例です。
ページボーイスタイル・・・内巻きにしたヘアスタイルで、中世ヨーロッパの貴族に仕えていた
小姓(ページボーイ)の髪型に由来するようです。
ヘップバーンカット・・・オードリーヘップバーンの髪型を真似たスタイルで日本では大流行したようです。
その時代に輝く大スターに憧れて真似をするというのは、今も昔も変わらないみたいですね。
続いて1960年代
ツイッギーカット・・・このシャープなショートカットを手掛けたのはヴィダル サスーンと言われています。
当時は男性が長髪で女性が短髪というのが当たり前だったようです。(僕の好きな長渕もそういえばロン毛だったな)
キスカール・・・前田美波里などがしていた髪型。もみあげ部分がアルファベットの「C」の形になっているのが特徴。
ツィッギーカットのところにも書いたが、この時代は男性が長髪、女性が短髪が当たり前。
現代では逆で男性は短髪、女性は長髪が当たり前とは言わないが一般的なのかなと思う。
この違いについて自分なりに考察をしてみた。
1950年のヘップバーンカットもそうだが、髪を切る文化が根付いてから女性は短くすることに躊躇がなくなったのではないか。
カットすることが当たり前になる以前は髪結い処といって、髪は切るのではなく結うところ。つまり女性の髪は長いのが
大前提で(当然、野郎も)結うためには伸ばしておくしかなかった。そもそも切る概念がないとすればそうなりますね。
髪を伸ばすというのは容易なことではない。ということは僕の心中を吐露した昨日のブログを見ていただけたらわかるかと
思うが、髪の長かった女性たちの中には本当は切りたくて切りたくて仕方のない方も多かったのではないか。
女性の髪は長い、それが一般的だとすると切ることは難しいし悪目立ちしてしまうこともある。
しかしヘップバーンカットに始まり短いヘアスタイルがピックアップされだしたことで、髪を短くする「大義名分」ができた。
それも相まって短めのヘアスタイルは大流行していったのかな・・・とか思ったり。
ちなみに野郎が長髪にしていたのは、サムライ精神の名残りではないかと推測している。長髪じゃないとチョンマゲが
結えない。結えないと落ち武者的な感じになるという恐怖が遺伝子レベルで残っていたのでは・・・
なんて推測じゃなくて、もはや妄想だね・・・。
髪型の流行りと時代背景って考えてみると結構面白いです。なので、また1970年以降も書いてみようかなと思います。
だんだんとパーマやカラーが入ってきて、形もさらにデザイン性に富んだものになり、美容師専用だった器具が一般消費者に使われ出すと、さらにさらに髪型って変わってきます。
もちろん、それを発信し流行までさせる腕利き美容師の方々が時代時代を彩っていく…これがまた面白いし、凄いわけです。
美容の歴史って知ってるようで知らないことも多い。
知らないといけないってことはないけど、知ってることで損することなんてない。むしろ得することの方が多いかな。
小僧、歴史を紐解き和尚への道を模索する。
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カテゴリー:小僧