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阿南毅と小僧の心
じゃがいもが教えてくれたこと 「行122」
2017.09.10
経験を伝えることはできても教えることはできない。
どうも、オレンジコスメのアナキンこと阿南です。
人生ってほんと思いもよらぬことが起こる。僕は大分県っていう日本有数の美しい場所で生まれ育った。一生この地で過ごすんだろうなぁって幼いながら漠然と思っていた。
ところがある日突然そのイメージは変わることになった。
「転校」
まさかのまさかだった。小学校を卒業し中学一年生が終わりに差しかかるころに告げられた転校の話。幼い頃からずっと一緒だった友達と同じ中学を卒業できるものと思っていたが、諸事情あってまさかの転校をすることになった。
いきなり新しい場所、集団に飛び込むわけだからそれはそれは辛かった。話す言葉(方言)すら違う場所。それでも溶け込むために一生懸命だった中2の春を目の前のポテチを見ながら思い出すのだ。
少し前のブログでポテチからの卒業を声高らかに宣言した。無論ダイエットのためだ。シュッとした自分を取り戻すために余計なカロリーは不要だ。
そこで自分にプレッシャーをかける意味もあって、卒業を選択した。
だが、よく考えてみてほしい。
そんな簡単に卒業できますか?
東大や京大、世に言う名門大学をそう簡単に卒業できるだろうか。入ることすら超絶狭き門、しかし入学はゴールではなく卒業までさらなる勉学の日々が続く。
僕にとってのポテチとはそういうものだ。
入学は親父の力によってスムーズになされた。(ダンボールいっぱいのコンソメ、ありがとよ親父)
あれから来る日も来る日も励んだよポテチに。でもこの歳にしてついに卒業を迎える日がきた…
って勝手に決めてたんだな僕は。
卒業させるもさせないも、全てはポテチ次第ということに今さら気づいた。
学生時代のように転校も頭をよぎったよ。
カールやとんがりコーン、慶応や早稲田のような有名なところは他にもあるから。
でも、その選択はとらなかった。
そう僕は「留年」してしまったのだ。
自分の頑張りが足らなかったとは思うが、まだその時ではなかったのだとも思う。結局自分のアイデンティティから「ポテチ」をとるわけにはいかないということだ。
当たり前の毎日に人は慣れを感じ、それはいつか慢心に変わるという。
慢心は危険だ。自分はここじゃなくてもいいんじゃないか?やれるんじゃないか?もっと他にもあるんじゃないか?なんてことを平気で思い出す。
でも、今ある場所がどんなに素晴らしいか。よく考えてみるべきだ。
苦手な人がいる(好みじゃないポテチ)
賃金への不満(量の割に高いポテチ)
労働時間の長さ(堅揚げはアゴが疲れる)
etc…仮にこんなことがあったとして、それは本当にそうなのか?
苦手な人がいる…自分だけが一方的に嫌っていないか?相手に良いところだってあるはず。(新しい味のポテチを試してみるべきではないか)
賃金への不満…最低賃金を下回るようなら問題だけど、よく考えてみて。権利の主張と同時に責任は果たせているか。(量より質、ポテチに量を求めるならコストコにいけ)
労働時間の長さ…効率よく仕事をし、しっかりと成果を出せているか?無駄はないか?(そもそも堅揚げを食べるな)
不満の根源は自分にあることも少なくないってこと。
留年したことで、新しい発見がたくさんあった。もちろん留年しただけで、ダイエットが失敗したわけでもないしポテチを責めるのは違うし、僕の意思云々も関係ない話。
ただ、その時ではなかったということ。
私はとても良き学びを得ました。
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カテゴリー:日常